品川のバイクショップ、ジッペスポーツです。
目黒線武蔵小山駅、池上線戸越銀座駅から徒歩約12分。
新車はヤマハ・スズキ・ホンダの国内3メーカーの新車と輸入車、中古車、カスタム、
カスタムパーツブランド深海 のパーツ開発・販売、下取り、買取り、修理、車検など
オートバイに関することなら何でもお問い合わせください。
中原街道沿いで 品川区、港区、目黒区、大田区からのアクセスも良好のバイク屋です。







 
定休日 水曜日・第2 第4 木曜日
営業時間  10:00〜18:00


ジッペシステムのフェンダーレスキットは
配線カプラー付き、コネクターオンです


新入荷!

SUZUKI Vストローム250SX



ベストセラー!


Z900RS フェンダーレスキット



GSX-8S/8R フェンダーレスランプキット



PICK UP USED!




 








教習所紹介いたします。
特典あります。入校前に御来店ください。




MADE IN JAPAN : 日本の産業を少しでも活発に!
東京都公安委員会 古物商許可 302180407968

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「大会社たらんより 最良の会社たらん」

美しさ、賢識、品格、そして優しさ。
じねんほうに
自然法爾



警視庁生活安全部長山下史雄氏より
平素の犯罪防止活動に尽力した事による
感謝状を受けました。



荏原税務署より褒められました。


 










     ジッペ塾



世は正義よりも、付和雷同する者で動いている。
(時々の勝ち馬に乗ろうとする、軽佻浮薄の輩で満ち溢れている。)
深海法師
万丈記
行く川の流れは絶えずして、もとの水にあらず。
深海法師
足利家 執事  高 師直
「神仏など無用の長物である。」
武士は、戦えば戦うほど人を殺す、必定地獄行きである、
後生を恐れては、到底この渡世は務まりませぬ。
深海法師



足利尊氏が当主になる前の、父貞氏の話
「自分の先々は、存外に自らの料簡では決められぬ。」
おまえの周りにいるすべての人々の思惑、京やこの坂東を含む
時代の潮流・・・その様なものが大方を決める。
おぬしの望みが叶うのは、せいぜい十のうち、一分にも満たぬであろう。
おまえに限らず、わしや高国、死んだ高義や三郎を含めてそうだ。
森羅万象が絡み合う浮世の奔流に、絶えずあちらこちらに流される。
武門に生まれたならば、なおさらだ。
婚姻でさえ自儘にはならぬ、好きな女子を正室に迎える事さえ叶わぬ。
我らが出来る事は、その一分ほどの裁量の中で出来る限りのことを
試すだけなのだ。
深海法師


アメリカの同盟国(非NATO主要同盟国・・・MNNA)
日本・韓国・オーストラリア・エジプト・イスラエル
厄介な同盟国・・・イスラエル
従順な同盟国・・・日本 過剰なまでに同調し振り回され続けている。
ユダヤのことわざ
朝寝、昼酒、幼稚な会話、愚か者の集いに名を連ねることが身を亡ぼす。
知恵の冠は、智慧(富)である。



あいまいで頼りなく見える日本人の宗教性であるが
「八百万の神々の清涼なる祈り」
「円融自在・観自在の仏心」
「武道にも通ずる儒教的論理性」
など神仏儒の混在を涼とするやわらかい心が日本人の価値基軸である。
深海法師
明治維新を迎え押し寄せる西洋化の波の中で、日本人は「和魂洋才」
といって歯を食いしばった。大東亜戦争敗戦後、日本人は「無魂洋才」
になった。そして今グローバル化の潮流の中で日本人は、「洋魂洋才」
になれと迫られている。第三波のグローバル化の波に飲み込まれ、今
その引き潮の中でもがいてる。 さてどうする日本人。
深海法師


昔高野山の明遍僧正という高僧は、父の十三忌の追善をしょうという兄弟の勧めに、
断乎として反対したという有名な話がある。
死んで五年も七年も六道の巷に流転し、仏果をえることもならぬように心得るのは、
仏の御心にも背くことだというのが理由で、彼らの信仰ではもうとくのむかしに、
浄土に往生していなければならぬのであった。盆の場合でも同じことだが、一方に
念仏供養の功徳によって、必ず極楽に行くということを請け負っておきながら、
なお毎年毎年この世に戻って来て棚経を読んでもわらぬと浮かばれぬように、
思わせようとしたのは自信の無いことだった。 その矛盾を心付かぬほどの日本人
ではなっかったはずであるが、これには大昔このかたの我々独自の考え方が
まだ消えずにあって、むしろ毎年時を定めて、先祖は還ってござるものと信ずる
ことが容易であったらしい。言わばこの点はまだ仏教の感化ではなかったのである。
柳田 国男 先祖の話 深海法師




宇宙には、神は一人もおらず、人類の共通の想像の中以外には、
国民も、お金も、人権も、法律も、正義も、存在しない。        サピエンス  
ハラリ
国家は、共通の国民神話(虚構)に根差している。
 深海法師
「見るべき程の事は 見つ。」     平家物語 壇ノ浦入水   平 知盛
深海法師


「内には十戒をたもち、外には五常乱らず、礼儀をただしうせ給ひけり。」
平家物語 高倉院
十戒-真言宗
不殺生   不偸盗   不邪淫   不妄語   不奇語   不悪口   不慳貪   不瞋恚   不邪見   不両舌
ふせっしょう、 ふちゅうとう、 ふじゃいん、 ふもうご、 ふきご、 ふあくく、 ふけんどん、 ふしんい、 ふじゃけん、 ふりょうぜつ
五常-儒教(人の常に守るべき五つの道徳)
仁 ・ 儀 ・ 礼 ・ 智 ・ 信 老子
深海法師


我昔所造諸悪業  皆由無始貪瞋痴  従身語意之所生  一切我今皆懺悔。
がしゃくしょぞうしょあくぎょう かいゆむしとんじんち じゅうしんごいししょしょう いっさいがこんかいざんげ
 
 われむかしつくるところのもろもろのあしきとみなはじめもしれぬおししにくしをろかによる。
 みと、くちと、こころとよりなすところ、ことごとくわれいまみなわびしたてまつる。
十善戒自受法
深海法師


「無知の知こそ、賢者の道」・・・・・ソクラテス
自分は何も知らない事を認識しないで、他に知ったかぶりをする人が何と多数か!
又言葉巧みに、数字を並べうそを言い放ち、人々を惑わす。
            「数字は正確、詐欺師は数字を使う」


「衆寡敵せず」 寡黙な人は敵ではない     深海法師



「煩悩を断ぜずして涅槃を得る。」  「不可思議解脱」

「方便に支持されない知恵は束縛である。」       維摩経(ゆいまきょう)



往相(おうそう)-向うへ行く この世の生を終えて浄土に往生する。
還相(げんそう)-その浄土から利他行、衆生済度のためもう一度この世へ帰ってくる。



天国の至福の状態を捨ててわざわざこの世へ帰ってくることは菩薩の利他の精神の極致。
浄土の至福を捨ててまでも、無限に続く苦悩の所へ還ってくる理由です。
         「常に他に奉仕する。」                   曇鸞(どんらん)



教養とは、人の話を聞く事、どんな人にも耳を傾ける。
武士道とは品位を高める事。相手を尊重する事。
「学ぶことの基本は聴くこと。」
「誠は、すべての存在の根源である。」             新渡戸 稲造



自灯明(じとうみょう)≒自度
利他の願いを起こさず、自利の為だけに修行する。
一番怖いのは自分です。     私訳 深海法師


「色即是空」「空即是色」相反することを言われております。
ものはそのままで空である。そのなにものもない空っぽのところにものがある。
あらゆる存在というものが、空なるところ、空のまっただ中に、そのまま、ありとあらゆるものがあるという。
空の哲学は難解です。
ものが空であることを見るような知恵を「般若」と呼ばれます。              深海法師



関八州とは(時計まわりで記しています。)

相模 さがみ  現在の神奈川県

武蔵 むさし   横浜あたりの東京湾沿いから東京都、埼玉県

上野 こうずけ 群馬県

下野 しもつけ 栃木県

常陸 ひたち  茨城県

下総 しもふさ 千葉県

上総 かずさ  千葉県

安房 あわ   千葉県
                             深海法師



祇園精舎の鐘の声、諸行無常のひびきあり。

娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。

奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

猛き者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。


                        祇園精舎



民主主義は法による統治であり、人による統治ではない。 ワイマール


人は理屈でかためると、心を閉ざす。  深海法師


タンポポとの会話
小さな庭にタンポポを見かけました。よく視ると茎が長く1mぐらいありました。
何でそんなに長く伸びているのだと問いかけるとそのタンポポは
これから花を咲かせ、私の種を風さんに遠い所まで運んでもらいたいので、
一生懸命がんばって、努力してお日様に近づけました 苦労しましたよ。
自分の種を何でそんなに遠くまで運んでもらいたいのだと更に問うと
「故郷は、遠くにありて思うもの」と言うではないですか。自分の種を新しい
世界で生きさせたいのです、そして自らの力で大地に根を張り
一生懸命生きてもらいたいのです。
ニュートンの法則ではないけれど、近い所の方が何かあった時には、
都合が良いのではないか。
いいえそうではありません、親が近くにいるとお互いに甘えてしまいます。
目先では良いのですが、子の将来を思えば、お互い苦労を味わった方が
かえって良い結果になるものかと思います。                    深海法師




老子 三宝                    仏道
慈しみ     いつくしみ           仏      ぶつ
倹しさ      つつましさ              法     ぽう
もの惜しむ   ものおしむ            僧      そう


儒教-もの惜しむは君子の道         ものを大切にすることは良いことです。
仏道-もの惜しむは餓鬼道の元なり      ものを大切にしようとするから心が悩むのです。
                           いっそ見切ったほうが楽になります。         深海法師  



真は、知もなく、徳もなく、功もなく、名もなし   徒然草


真実は劇薬、嘘は常備薬。             深海法師



「我昔より造る所の諸々の悪行は、皆無始の貧槇痴(トンジンチ)による。  観音経
身語意より生ずる所なり。一切我今懺悔したてまつる。」              懺悔文

私は、昔からやってきたことが、なんと悪い行いばかりでした。
全て無学の貧しい心の馬鹿によるものです。
これは、自分の身を守ろうとする為に生ずる所です。             私訳
私は、今ここに全て懺悔奉ります。                        深海法師



「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」  憲法第9条

戦後70年これを守り、耐え忍んで、努力してきた民族であります。
今日、世界の人々から、こんなに優しくて綺麗な国はありません
との賞賛を受け、世界ナンバーワンの良い国と言われております。
先人たちの努力により成し得たことかと思われます。
美しさ、見識、品格、そして優しさ。
これを堅持し継承することが私たちの責務かと思われます。      深海法師

私訳、戦後70年を迎えて
かつて、卑弥呼の時代の後、倭国は百済と仲良しでありました。
高句麗が百済を攻めて来たので、助けようと100隻の船で応援にいきました。
しかし高句麗の船は大きく頑丈に出来ていてとてもかないませんでした。

安土桃山時代、豊臣秀吉は日本を統一した後、今度は朝鮮に兵を向け
支配下に置こうとしました。最初は、勝ち戦で勢いがありましたが、
次第に疲弊し、多くの兵が死に、命からがら逃げてきました。

明治政府の時代、日清、日露戦争に突入し勝利して
調子に乗って満州国を建国し、世界の反発を受け太平洋戦争になり
日本の主要都市は、徹底的に破壊され、終戦前の沖縄では多くの民間人が
動員され、歴史上最悪の酷い事態になりました。広島、長崎には原爆を落とされ
多くの人が死にました。まるで地獄図であったと歴史は言っています。
(こんな簡単に書いていいものではありません。)

ここで方程式です。
日本は、大陸に勢力を伸ばそうとするとろくなことは無い
己を知り、慎ましく生きていくことかと思われます。
争いは負けるべし!勝つとあとでろくなことがありません。

耳障りのいい言葉に騙されない様、常に心がけましょう。    深海法師

「歴史書の中に真実なし、真実は物語の中にある。」    紫式部





「天下になくてはならない人か、あってはならない人になれ!」   河井 継之助

「国の本は民である。史は民の雇われである。」「常在戦場」    河井 継之助

戦争をする国になってはなりません。               深海法師



「社会の構造が虐待を生んでいる。」         深海法師



人々の欲が増し、争いが続き、死海の水が干上がった時、
それは世界の終りである。                   ベドウィン

   


衆生は、自分の意思にてこの世に生まれ出でたわけではない。
気づいてみたらこれが父様、これが母様と自覚するようになる。すべての生き物がそうである。
さすれば、父母から頂いた命、現世娑婆のなかでいかに生きて全うするか、であると思います。
私めもそれが出来ているかは疑問です。しかし常に事を思い生き抜きたいと心がけます。
俺が、俺が、私が、私が、とよく聞きますが、そんな主語は不要かと思います。
現世人のせいにすることが多くなってます。あの人が悪い、私は勝ち組、みんなで決めよう
生まれながら人それぞれ、環境が異なります。金持ちの家にたまたま生まれた人もいる。
又貧乏の家に生まれた人もいる。生まれながらに不自由な体の人もいる。しかし
定めと受け取り一生懸命生き抜く事が美しいのではないでしょうか。
それを親のせいにしたり他人のせいにしたり、自分の心を楽にしようとする輩が多すぎる様に見えます。
子供を良い大学に入れようと塾に通わせたり、お金を払って人のせいにする。
学問は基本として自分で学ぶもの、自分の子なのだからあまり高望みは自分を振り返ればわかる筈。
日本の国は良い国です。努力をしていれば何とか生きられるものかと思います。
楽をしたり、喧嘩に勝ったりすると後でろくなことはないものです。

誰かの策に乗るのはもうやめて、なにも持たないで、泣きながら生まれ出でた人生、
死に入るまで一生懸命生きることかと思います。                         深海法師




「阿」字の赤は、母の淫にして血となり肉となる。「吽」字の白は父の淫にして骨となる。    深海法師



浄土真宗の親鸞の言葉に「某の棲家地獄にしかあらず」と記してあります。
日本を代表する宗教の創始者の言葉です。それだけ仏道は果てぬものかと思われます。
自分は衆の前で訳のわからないことを言い、弟子たちや信徒たちがお布施を持ってきて
何不自由ない生活を送っている自分はなんと悪い人間なんだろう・・・との思いを察しました。
また「某死すれば、鴨川に入れ魚に食わすべし」ということは念仏もいらない、墓もいらない、
まして戒名など全く不要である・・・ということを察しております。                深海法師



外には賢善を現し、内には頓欲を抱くは、阿呆を受けたる婆羅門のごとし    深海法師



悪人正機説                                          親鸞
「歎異抄」善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや
善人が極楽往生できるのなら、悪人ができないはずがないとあるのは、
自分は善人だと思っている人より自分を悪人と自覚している人のほうが
本願により救われる道を自覚していることになる。



「十悪五逆の人なれど、一たび弥名を唱うれば、来迎引上疑わず」            法然
(どんなに悪いことをした人でも、南無阿弥陀仏と唱えれば、天上から
お迎えが来て天国に連れて行ってくれる)
と言っているが、そんな調子の良い都合の良いことがある筈はない。
もしそうであるならば、現世の娑婆はめちゃくちゃになってしまう。
鎌倉時代はこれが大いに流行し、今日の浄土宗、浄土真宗の基本になっている。
この二宗の信者が日本の人口に多数を占める。                   深海法師




最も神に近い人は、最も神を信じてない。
最も神聖な場所に、最も劣悪なる人間が身を投じる。
愛国心は、ゴロツキ達が最後に逃げ込む隠れ家だ。    ジョンソン博士



七つの海越えるころ 地図にない海がある
どこまでも続く海 誰も知らない 君だけの海         深海法師



人生50年下天の内を比ぶれば、夢幻のごとくなり
ひとたび生を受け 滅せぬ者のあるべしや           信長記




縁起空なる 無限の営みの中に 全てお在せあられます
生者必滅 会者定離                        深海法師



   法(ダルマ)  四法印
諸行無常(しょぎょうむじょう)  現実のすべてのものは絶えず変化し、消滅する。
諸法無我(しょほうむが)     何一つとして不変の実体をもつものは無い。
一切皆苦(いっさいかいく)    実体に固執する者は、苦悩を免れる事が出来ない。
涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)  生・死にも苦しまず、永遠不滅の真理に安住し、深い心の統一を保つ。

                                     深海法師



 世間話
昔々、ポルトガル人が、種子島に漂着した。
・・・その4年後、フランシスコ・ザビエルが日本に来て、デウス(神)の布教を始めました。
当時の日本人はザビエルの説教を聞いて不思議がった。例えばデウス(神)がすべてを創造し、
かつ全能で、一切をお見通しであるとするならばどうして日本人が発見されることがかくも遅かったのか。
またデウス(神)が絶対の合いであるとするなら、なぜ悪魔をおつくりになったのか‥
さらに、彼によってすでに信仰を得た物は自分がやがて天国にゆけることを喜んだものの、不審だったのは
死んだ両親のことだった。両親たちは地獄にいるという。死せる両親たちはデウス(神)によって発見されることが
遅かっただけで‥
つまりザビエルが日本にやってくることに間にあわなかっただけで・・・・
なんの罪も無いのである。かれらの罪はデウス(神)を礼拝しなかったからだというのが、
それでは不公平なのではありますまいか‥また、もしそうであれば神は全き愛をもっていらっしゃらないと
云うことになりますが。・・・・・と言ったりした。

 その時のザビエルの本国への書簡の中にこんな一説があります。
・・・・・この国の人々は今までに発見された国民のなかで最高であり、日本人より優れている人々は、
異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で悪意がありません。
驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます。大部分の人びとは貧しいのですが、
武士も、そうでない人々も貧しいことを不名誉とは思っておりません。
 聖フランシスコ・ザビエル全書簡(河野氏訳)
敬具



        論語 孔子曰く       深海法師      
    * 十五にして学び志す
    * 二十にして弱冠
    * 三十にして立つ
    * 四十にして迷わず
    * 五十にして天命を知る
    * 六十にして耳順う
    * 七十にして心の欲する所に身を置き矩をこえず

        仏の六道
    * 天道
    * 人間道
    * 阿修羅道
    * 畜生道
    * 餓鬼道
    * 地獄道


              人生の王道  稲盛和夫 より抜粋             深海坊

  文明というものは道理にかなったことが広く行われることをたたえていう言葉であって、宮殿が大きく厳かであったり、
  身にまとう着物がきらびやかであったり、見かけが華やかでうわついていたりすることではない。
  世の中の人というところを聞いていると、何が文明なのか、何が野蛮なのか少しもわからない。
  自分はかつてある人と議論したことがある。西洋は野蛮だと言ったところその人は、いや文明だといい争う。
  いや野蛮だとたたみかけた言ったところ、なぜそれほどまでに野蛮だと申されるのかと
  力を込めて言うので、もし西洋が本当に文明であったら、未開国に対して慈しみ愛する心を本として
  懇々と説きさとし、もっと文明開化へと導くべきであるのに、そうではなく未開で知識に乏しく道理に
  暗い国に対するほどむごく残忍なことをして自分たちの利益のみを図るのは明らかに野蛮である
  と申したところ、その人もさすがに口をつぐんで返答できなかった。